自炊の勧め ―“食”について考えてみよう―|引地史郎
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自炊の勧め ―“食”について考えてみよう―|引地史郎

引地史郎
工学部教授・生物無機化学

 新入生の皆さんの中には、大学入学を機に生活が一変したという人がいることと思います。それまではご家族に頼っていた〝衣・食・住〟に関わることを一人で全て行わなければならなくなった、あるいはご家族の分も含めて家事を(一部)担うようになった、という人もいるかもしれません。また先々生活が変化していく可能性は、皆さん全員にあります。そのような皆さんに、人間が生きていくうえで欠かせない“食”にまつわる私の体験を紹介します。根っからの食いしん坊である私は、幼い頃家にあったテレビの料理番組のテキストを眺めては「これ食べてみたいなあ」「いったいどんな味なのだろう?」といった想像を膨らませていました。そしてまだ家庭科が男女共修でなかった時代に中学・高校を卒業しましたが、「自分で調理すれば好きなものが好きなだけ食べられる」との発想から、高校生の頃には一通りの調理技法を身に付け、今や「趣味は料理」と公言するに至っています。そんな私が大学生の時に経験したエピソードです。

 近年、大雨や台風などの気象災害により「旬」を迎えた農産物などが大打撃を被ってしまったという残念なニュースを目にします。辞典の説明によると、「旬」とは“味、物性などから食品の収穫に最も適した時期。通常、最も多量に収穫される時期に一致する。(出典『栄養・生化学辞典』、朝倉書店)”ということです。つまり「旬」の食材は収穫量が多いことから価格も下がりますので、価格に着目していれば、今「旬」の食材が何かを知ることができます……ということですが、私自身が「旬」ということを意識しだしたのは大学生になってからです。その頃私が家族と共に暮らしていた自宅は、周辺が坂道だらけでした。そして近所に商店街はなく、一番近いスーパーマーケットでも歩いて15分はかかりました。母は自動車の運転免許を持っていなかったため、週末に父が運転する自動車で近隣のスーパーに出かけていき、そこで食材をまとめ買いをしていました。そして私が大学生になり自動車の運転免許を取得したことで、父の代わりに私が母を買い物に連れていく機会がしばしば出てきました。そこで母について買い物をしていく中で、「旬」を意識するようになったのです。料理番組では当然「旬」の食材が取り上げられるので、「旬」をなんとなく知っていましたが、ただ母の手料理を食べるだけであった頃には、それが「旬」の食材を活かしたものであることなど、全く意識していませんでした。もちろん「旬」の食材は安価であるものが多いわけですから、家計の助けにもなっていたはずですが、当然そんなことにまで考えは及びませんでした。

 母の買い物について行ったことは、“食”に関する経済観念を身に付ける絶好の機会でもありました。ここでいう経済観念とは、単なる食品の価格の問題ではなく、食品自体を美味しく頂くことができる期間(いわゆる賞味期限)と、おおよその食事のメニュー及びそれらを作る分量から導かれる消費予定量との兼ね合いで決まる購入適正量と購入価格のバランスです。当時の私には、4人家族の数日分の食事に足る食材がどの程度の分量であるかということなど全く想像がつきませんでした。また数日で消費する生鮮食料品以外にも、主食である米や諸々の乾物、調味料なども、ストックの状況や必要性に応じて購入するわけですが、その際には特に適正量と価格のバランスが重要であることも知りました。

 一人暮らしをしている学生諸君から、「自炊はしたいけど、かえって不経済だ」という話を聞きます。「旬」の食材で安く購入できるものの、少量では販売していないという状況において、購入した食材を一つのメニューにすべてつぎ込んで必要量以上にできてしまう、あるいは食材の一部を使って目的のメニューを作ったものの、残りは調理する前に腐らせてしまった……という話です。これは食品廃棄という社会問題にもつながる由々しきことなのですが、もしも同じ食材でも美味しく食べるためのメニューを複数知っていれば、別のメニューに展開して違った味付けで美味しく頂けます。また一種類のメニューを大量に作ったとしても、それが冷凍保存できるものであれば “自家製冷凍食品”として後日食べるために取り置くことができます。私自身、大学院修了後に海外で一年だけ一人暮らしをしていましたが、よく休日にまとめて“自家製冷凍食品”作りをしていました。そして今はインターネットなどで様々なメニューを調べることができます。これを活用すれば一つの食材から様々なメニューを楽しむことも簡単でしょう。

 私の専門は化学なので、しばしば「料理と化学実験は似たようなものですか?」と尋ねられます。料理によっては材料の質量や体積を正確に測り、作業工程もレシピ通りに行わないと上手くいかないケースもあり、それは化学実験と共通するところです。また調理の過程での食材の状態変化は、様々な化学現象として説明できます。もちろんここで挙げた化学実験の技術や化学の知識は、皆さんが小学校から高等学校の理科の授業で学んできたことばかりなので、特に意識する必要はありません。もちろん私としては料理をきっかけとして化学にも興味を抱いてくれればうれしいのですが。ただ、「旬」の話や「食に関する経済観念」などは、今後の皆さんの人生を豊かなものとしていく上でも、そしてSDGsの観点からの食糧問題への取り組みなどを考えていく上でも、何かのきっかけにしてもらえれば幸いです。

引地史郎
工学部教授・生物無機化学

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために毎年発行しています。

この連載では最新の『学問への誘い 2021』からご紹介していきます。


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